青碧と真紅





ふいに、強めの消毒液の様な匂いが鼻を突いた。
体を起こそうとしても、上手く動かすことさえままならない。無理に動くと痛みが走りそうで、ケントはただじっとしている事しか出来なかった。
どうやら、自分は今薄暗い明りの無い部屋に寝かされているらしかった。
「………」
自分は一体、どうなったのか。
そして、セインやエレインは。
自分が背中に深手を負って、それからの記憶は全くない。
きっとそこで自分が意識を失ってしまった所為であろう事は、想像に難くなかった。

「情けないな…」
ぼんやりと、ただ目を泳がせた空中に虚ろな声を漏らす。何が映っている訳でもなく、ただ無意識の内に。
しかし、そんなケントを呼び覚ますかの様に、
「おーい?起きてるー?」
「……あ…?」
元気よく扉を開けて入ってきたのは、もう随分と聞きなれた声。そして目を覚ました自分を見る琥珀色の明るい瞳。
影を落とした自分の暗い隙間に、光が差し込んできたかの様だった。


「目を覚ましたんだなっ!」
みるみると光を取り戻していくかの様に緩んでいくセインの顔。
ああよかった、無事だったのだ。
自然と、ケントにも微笑みが浮かぶ。
「そうだ…エレイン、は…?」
まだ掠れた声だったが彼の耳には聞こえたようで、
「エレインさんも無事だよ。俺達助けられたんだ」
にっこりと笑いながら、そう言った。
「良かった…」
ほぅ、と安堵の息が漏れ、彼もそうだな、と相槌を打つ。
「ところで…今、何時なんだ?」
「ああ、午前を回ったところ」
「そんな…時間か…」
まさか、とケントは思う。
「こんな時間まで…起きて?」
「だってお前…何時目ぇ覚めるか分かんなかったし…」
すると彼の瞳は柔らかく、優しい目つきになる。そして未だ起き上がれないケントの髪をさら、と撫でた。
「俺、心配してたんだからな?ケント、全然反応が無くて……」
縋る様な、泣き出しそうな口調で、セインはぽつりと言う。彼がこんな表情をするなんて、ケントはあまり見た事がなかった。
「私だって…心配、した。お前が……あんな…」
「………ん」
「お前は…傷は?」
「大丈夫。助けてくれた人達の手当てが良かったお陰で」
「一体誰が…?」
「あの地帯に纏まって住んでいた人達らしいんだけど…起き上がれる様になったらお礼でもしに行こう」
「ああ」
「だから、暫くは元気になるまでゆっくり休んで?ケント……」
「有難う……」
すると、セインは優しくケントの額にちゅ、とキスを落とした。
くすぐったい、僅かに熱の伝わった口付け。
「!?」
「へへ、ケントの笑った顔…見れて俺もホッとした」
セインは顔を真っ赤にしたケントにおやすみ、とだけ言って部屋を出て行った。

ケントはぼうっとした頭で必死に今の出来事を理解しようとする。
セインは…私に今、何を……?
あれは、女性に対してするようなことではないのか。
考えれば考えるだけ頬が赤く染まっていくのを感じて、ケントは無理矢理ぎゅっと目を瞑った。








それから数日後、ケントはようやく怪我も癒え始め、起き上がれる様になった。
エレインも二人を残して自分の家に戻る事は出来ないと気を使い、わざわざ包帯を取り替えたりと世話を焼いてくれた。

「体の調子はどーよ?ケント」
「…お陰さまでな。お前は、どこに?」
そう問うと彼は槍を片手に、
「すぐそこで少し自主鍛錬でも」
「そうか」
「怪我のお陰で鈍ってないかと思ってさー」
言いながらセインはぐいぐいと伸びをしている。
「そうだな、私も大分回復した事だし、そろそろ動かないと」
「それなら俺も付き合うよ?」
にこり、と微笑む彼の表情にケントはどきりとする。
(な、何なのだ……)
「どしたの、ケント?」
「い、いや何でも無い!」
「顔が赤いよ?」
そう言って顔を近付けてくる。
「!!」
「ケントっ?」
思わずケントはセインを突き飛ばして逃げてしまった。
セインは恐らく熱でもあるのかと額と額を付けようとしていただけなのだろう。
しかし、少し前の出来事の所為で思わず意識してしまったのだった。

「こんな事であいつと旅なんて続けられるのだろうか……」

ふいにそう呟くと。
「ケントさん?」
「エ、エレイン!」
そうだった。
彼女の事をすっかり忘れていた………。

「良かった、ケントさんも無事で」
「エレインも無事で良かったよ」
「本当に私の父の所為で…止められなくてごめんなさい」
済まなさそうにエレインは顔を伏せる。
「いいんだ、私もセインも無事だったのだし」
「でも……」
「ほら、そんな辛そうな顔を見せるとあいつに“良い女が大なしだ”って言われてしまうぞ?」
「やだ、ケントさんったら…」
思わずエレインの顔が緩む。
「やっぱり笑っている方がずっと可愛いよ」
「え……」
「これじゃ君のお父さんも嫁に送る時苦労するだろうね」
「そ…そうかしら…」
エレインはかなり照れている様子で、もじもじと顔を火照らせている。
事実彼女は美人だと思うし、ケントは本当にそう思っていたのだ。
「そ…それはそうと、ケントさんどうしたの?何か悩んでいたみたいだけど」
「あ…それは、その…」
先程の事をまた思い出して、ケントは少しかぁっと頬が熱くなるのを感じた。
「なぁに?」
「そんなに大した事じゃないんだ、心配かけてすまない」
ケントは微かに笑って、その場しのぎをしようとする。
「そう…でもねケントさん」
「?」
「好きな人にはちゃんと好きって言わないと、伝わらないのよ」
「え………」
「ふふ、じゃあまた!」
「え、エレイン……!」
彼女はくすりと笑うと、元来た道を駆けて行った。
「好きな人には……」
先程言われた言葉を繰り返し頭の中で浮かべてから、ケントは再び赤面してしまった。
……まさか。まさか、そんな筈は………
「何を考えているんだ…私は……」
もやもやとした頭を抱えて、ケントは遠い空を見つめていた。





それから。

「…エレインさん、支度はいいですか?」
「ええ、大丈夫よ」
セインはじゃあ、と手を差し伸べ、自分の愛馬の上にエレインを乗せる。
「セインさんって力持ちなのね」
「そりゃあ、貴方の様な女性を抱けるくらいの力はないといかんでしょう」
「ふふっ、そうかしらね」
そしてセインも跨って、愛馬を走らせる。途端に気持ち良い風が二人を撫でていく。
「…エレインさん、ケントにはもうよかったんですか?」
「ええ、いいのよ。さっき少し話してきたから」
「そっか、寂しくなるなぁ…」
「大丈夫よ、貴方にはケントさんが居るもの」
「……そうですね、それもそうだ」
セインは高い高い空を見上げて、相棒の姿を浮かべる。

いつもいつも、何だかんだ言って俺の事を気に掛けてくれる、頼れる相棒。
あいつが俺の相棒で、本当に良かった。だからこそ、今こうして二人で旅を出来る事が、何よりも楽しい。

「…愛されてるのね」
「? 何か言いました?」
「いいえ」
セインは再び前を見据える。この調子なら数十分としない内に彼女の村まで走れるだろう。
その事がエレインには少し寂しい気がした。
「……ねぇ、セインさん」
「何です?」
「大事な人にはね、嘘なんて吐いては駄目よ」
「ええ、分かってます」
「愛してるならちゃんと愛してるって、伝えてあげて」
「……そう、ですね」
セインはそれ以上何も云おうとはしなかったが、エレインもその気持ちを良く分かっていた。
だからそれ以上は互いに何も追及などせずに、村まで駆けた。



それから駆ける事数刻、村ではいまかいまかと彼女の父親が待ち侘びていた。
「! 父さん……」
「エレイン! 無事で…」
エレインはすぐに馬から降りると父親に抱き付いた。
「父さん…安心して、あの騎士さん達にあいつらはやっつけてもらったわ」
「そうなのか…」
「お父さん、良い娘さんをお持ちになりましたね」
セインはにこりと微笑み、話し掛ける。
「ええ、私には勿体ない…それはそうと、本当に貴方達には申し訳ない事を」
父親は深々と頭を下げる。
「いえ、俺もあいつも大事無かったんで…気にしないで下さい」
そう言ってセインは再び愛馬に跨った。
「もう行くんですね…セインさん」
「はい、エレインさんも、お父さんもご元気で」
セインはそれだけ言うと、愛馬の手綱を引き、馬を走らせた。
一度だけ、彼女達が精一杯振る手に返して。

夕日が、もう沈む。
あの時、エレインが父親に駆けよって抱き締めていたあの時。
何だか、胸の奥がきゅっと締まる思いがした。
何だか少し寂しくて寂しくて。
“愛してるならちゃんと愛してるって、伝えてあげて”
早く帰って、ケントに会いたい。
ちゃんと自分の気持ちを伝えたい。
それだけを考えていた。










つづく


久しぶりですこっちの更新...!やっぱりセイケンは最高ですv
次回...告白なるか!? 2010,7,17

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